2019年3月2日土曜日

国宝『三十三間堂:蓮華王院』 ー 足を踏み入れた瞬間、その迫力に息を呑む!

『三十三間堂』正式名称『蓮華王院』

お堂の中に整然と並ぶ1001体の「千手観音立像」

「風神・雷神」「二十八部衆」そして本尊「千手観音座像」、その光景は誰もを圧倒する。

【平清盛】の【後白河法皇】の圧倒的な力を思い知る


”おばちゃりだー”は、はじめてお堂に足を踏み入れた時に、息を呑みました。

それ以来『三十三間堂』が大好きです。

三十三間堂

そして、この辺りには、
『後白河法皇陵』『養源院』『ハイアット・リージェンシー』『京都国立博物館』『豊国神社』『智積院』そして【豊臣秀吉】の墓『豊国廟』や和菓子作り体験ができる「甘春堂」があります。

大和大路通りは、道幅が広く観光客は比較的少ない、穴場スポットだと思います。

もし、『三十三間堂』にお詣りされて少しだけ時間があまったな~っていう時は、
『豊国神社』の国宝”唐門”と、大石で造られた”石垣”を見に行って下さい。おすすめです。

『豊国神社』の国宝”唐門”は「西本願寺」「大徳寺」の唐門とともに京都三大唐門の一つ。
”石垣”は石の大きさに【豊臣秀吉】の強大な権力を感じます。

あまり人は行かないけれど、凄いです!

<基本情報>

正式名称:蓮華王院

正式名称の『蓮華王院』はご本尊の「千手観音」の別称「蓮華王」から来ています。

本尊:千手観音(国宝)

別称:三十三間堂

別称の『三十三間堂』柱の間の数が33ある事からこう呼ばれ、柱間が33なのは観音菩薩の変化身が三十三身だからと言われています。

創建年:1165(長寛2)

【後白河上皇】の勅願により、【平清盛】が資金提供を行い建立されました。
平家が栄耀栄華を極めた時代ですね。

【後白河上皇】のお墓、『三十三間堂』の向かいにあるんですよ。

山号:三十三間堂の山号?

普通お寺って、山号がありますよね、例えば『比叡山』は『延暦寺』、『清水寺』なら『音羽山』など、ほとんどのお寺には山号があります。
しかし、『三十三間堂』には「山号」がないんです。
なぜならば、現在『三十三間堂』はお寺自体の名前ではなく、天台宗三門跡の一つ『南叡山 妙法院』の境外仏堂だからなのです。

『南叡山 妙法院』は基本非公開


<文化財>

■国宝

本堂

創建1165(長寛2)、1249(建長元)火災により焼失、鎌倉期1266(文永3)に再建し現在に至ります。元々は朱塗りの外装、堂内は極彩色の花や雲文様であったと言われます。

地上16m、奥行22m、南北120m、和様、入母屋造本瓦葺。
当時に考えられる限りの“揺れ動く”建築、免震工法が施こされた建築物です。

本尊 「千手観音坐像(附:木造天蓋)」

像高が3メートル余。お堂の中央に安置されているご本尊さま。
総檜寄木造りで全体に漆箔が施され、42手で「千手・せんじゅ」を表わす。千体の観音立像や「風神・雷神像」と「二十八部衆立像」を従えておられる様は圧巻。
鎌倉期の再建で仏師湛慶(たんけい)作。84才で亡くなる2年前に完成した鎌倉後期の名作。

「千手観音立像」(1,001体:1体は本尊の背後に安置)

必ず会いたい人に似た像があると言われる千手観音立像。
堂内に頭上に十一の顔、両脇に40手を持つ「千手観音立像」が左右10段、1段に50体に並ぶ姿には圧倒される。
124体は創建された平安期、その他は鎌倉期に再興されたもの。
約半分の像には名が残っているとか。慶派、院派、円派等多くの仏師が関わったと言う。

「風神・雷神像」と「二十八部衆立像」

檜の寄木造り、玉眼を用いた彩色像で鎌倉彫刻の傑作です。

■重要文化財

「南大門」と「築地塀(太閤塀)」


【豊臣秀吉】がこの地に方広寺を築き、大仏と大仏殿を建て、『三十三間堂』等も含めて敷地としその周りに「築地塀(太閤塀)」を築いた時の遺構。

<拝観案内>


京都市東山区三十三間堂廻町657
 (075)561-0467
ホームページ: http://www.sanjusangendo.jp
8時~17時(11月16日~3月は9時~16時)
年中無休
車イス参拝可。
■ 市バス「博物館三十三間堂前」下車スグ
■京阪七条駅 徒歩約7分
■ 駐車場 50台
■ 拝観料 一般600円・高校中学400円・子供300円
  団体料金(25名以上) 大人550円 高校中学350円 小学生250円

※年に2回、無料開放されます。
1月の「楊枝(やなぎ)のお加持」と「弓引き初め」の日と、
3月3日 「桃の法会 春桃会」の日です。



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