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2019年6月10日月曜日

第122代 明治天皇陵へ参拝! │ 天皇陵

第122代『明治天皇陵』へ参拝!

上皇ご夫妻が退位のご報告の為『明治天皇陵』と『孝明天皇陵』へ参拝されると聞き『明治天皇陵』へ参拝いたしました!(もちろん孝明天皇陵へも参拝済です❗)
『伏見桃山陵(フシミノモモヤマノミササギ)』には【明治天皇】に殉死した【陸軍大将 乃木希典】のお墓もありました。

一山全部が『伏見桃山陵(フシミノモモヤマノミササギ)』で『明治天皇陵』は山(丘?)の頂にあります。『明治天皇陵』から見る景色は清々しく素晴らしい景色でした。
また、御陵の自体も全体像が良くわかり、気持ちよく参拝させていただける御陵でした~😁



📗『明治天皇陵』へ行ってみた

『明治天皇陵』はJR「桃山」駅  、近鉄「桃山御陵前」駅、京阪「伏見桃山」駅から歩いても行くことができます。

ひと山全部が御陵で、みんなの公園?と言うような趣でした。
”おばちゃりだー”はこの日”じじライダー”に連れて行ってもらった為、いきなりこーんな階段を目の前に見てしまいました。




いきなり、萎えましたよ・・・ほんと・・・
そして、それよりも、上皇陛下ご夫妻はこの階段を上がれるのかと、無理だよねと、本当に心配になりました。
(実は『明治天皇陵』へは他になだらかな散歩道と言うか車も通れる道がちゃんとあったのですが、この時は知らなかったので・・・)

”おばちゃりだー”気持ちは萎えましたが階段をのぼりましたよ😂



のぼりきると正面に『明治天皇陵』が



振り向くと、この階段!

視線を少し上げるとこの絶景👀



左手には何やら小屋、


右手には大木や手水、


手を清め、参拝😊



この後「桃山陵墓監区事務所」に行き、「御陵印」いただきました。
「桃山陵墓監区事務所」には看板が出ていませんでしたので、目印をば、
これは「お手洗い」です。入ると檜の香りがしました。
このすぐ隣が「桃山陵墓監区事務所」です。


とても気持ちの良いところですので、参拝おすすめです!

📗『明治天皇陵』概略


御陵名:伏見桃山陵(フシミノモモヤマノミササギ)

所在地:京都市伏見区桃山町古城山 (ひと山御陵ですぞ)
 →JR「桃山」駅  東へ1km
 →近鉄「桃山御陵前」、京阪「伏見桃山」 東へ1.5km
  
陵型:上円下方

御陵印:「桃山陵墓監区事務所」にて他御陵印とあわせて押印できます。
    御陵印は声をかけてだしていただきましょう。
桃山陵墓監区事務所


📗【第122代 明治天皇・コウメイテンノウ】


配偶者【一条美子(昭憲皇太后)
御父 【第121代孝明天皇】
御母 【中山慶子

   英照皇太后の子ではなく内侍であった中山慶子との子。
お子様
5人の側室に5男10女。成人した男子は大正天皇のみ。女子は4人が成人を迎えた。 

崩御

持病の糖尿病が悪化して尿毒症を併発し、満59歳で崩御された。
大喪の日、【陸軍大将 乃木希典】【妻・静子】が殉死。(Wikipediaより)

人物像(Wikipediaより抜粋

倒幕・攘夷派の象徴であり近代日本の指導者と仰がれ、明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) と呼ばれ、

はじめて都を京都から移し、「一世一元の制」を制定し、はじめて洋装をされ、「日本の残すべき文化は残し、外国の取り入れるべき文化は取り入れる」と言われていた人物。

日常生活は質素を旨とし、寒い日でも暖房は火鉢1つ、暑中も軍服を脱がずに執務され、戦時中は「兵たちと苦楽を共にする」という信念のもと「暖炉も使わず殺風景な部屋で立って執務を続ける」と言われ実行。この姿勢は晩年体調が悪化した後も崩れることがなかったそうです。

また、記憶力は抜群で、書類には朱筆で疑問点を書きいれ、内容を暗記して次の書類に相違があると必ず注意し、【伊藤博文】はよく前言との相違で叱責され、『ごまかしが効かない』と言っていたとか、
建築家の【片山東熊】は、後の大正天皇のための住居(現在の迎賓館)の完成報告に行くと「華美過ぎる」と言われたショックで「病気がちになった」との逸話もあります。

レコードをよく聴き、乗馬、和歌、唱歌や詩吟、琵琶歌、蹴鞠等を好み、
飛鳥井家の蹴鞠を伝える蹴球保存会を勅命と下賜金でもって発足させた人物であり、
ちょっぴり笑えるのが写真嫌いであったらしいというところ。

奈良時代【聖武天皇】が肉食の禁を出して以来、皇室では肉食はタブーとされていましたが、【明治天皇】は牛肉や牛乳を自ら進んで食し、新しい食生活のあり方を国民に示したそうです。

貧困層への医療政策として創設された「済生会」には、皇室から下付金150万円を下付されています。

”おばちゃりだー”Wikipediaを読んで、【明治天皇】は格好良い方だったのだなと思いました。

さいごに、東京で崩御された【明治天皇】のお墓がなぜ京都にあるかと言うと、御遺言で生まれた京都に眠りたいとのお話があったため、かなり前からこちらの用地は抑えていたのだと、一緒に御陵印を押印していたおじさんに教えて頂きました。


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2019年4月10日水曜日

明星山 三室戸寺・みむろとじ|つつじの名所でも別名は『あじさい寺』 

「西国三十三所第十番札所」
山間に忽然と現れる花の寺『明星山 三室戸寺』



📗 三室戸寺とはこんなお寺

宇治の『平等院』『宇治神神社』等々と合わせてお詣りする方も多いですね。
かくいう”おばちゃりだー”も『平等院』『宇治神神社』とお参りし、その後徒歩で『三室戸寺』へお詣りしたことがあります。その日は歩いた~って感じでしたが、歩けますよ!
結構歩いている人もおられますので、迷子にはなりませんでしたよ。
一日ゆったり宇治観光💖がおすすめです。




別名を「あじさい寺」とも「つつじ寺」とも言われる『三室戸寺』ですが、山間にある境内には、1万株”紫陽花”はもとより、2万株”つつじ”千株”石楠花・しゃくなげ”、初夏には約100種250鉢”蓮”が花を開き、花の季節に境内を歩くと、花に埋もれる事ができます。



秋は秋で、江戸初期の観光案内書「京羽二重」「三室戸の紅楓」は”宇治十二景の一つ”として紹介されていたほどです。
また、「西国三十三所第十番札所」「神仏霊場巡拝の道第百二十四番(京都四十四番)」でもありますよ。

📗 室戸寺のみどころ

人の流れに沿って行き、橋を渡ると『三室戸寺』の受付があり、その先は美しい寺地が広がります。

「つつじ、シャクナゲ園」と「あじさい園」「蓮園」

受付から山門まで続く坂道の右手には、つつじ、シャクナゲ園とあじさい園が沿うように広がります。庭園にひとたび入れば花の中に埋もれ、この世とは思えないほどの美しさです。
「花の茶屋」4月14日~7月中旬くらい迄OPENしています。

「あじさい園」は有料ですが、遠くても有料でも行く価値のある場所だと思います。ハートの紫陽花💜もさがして下さいね。

インスタ映え間違いなし!です!


池泉回遊式庭園と石庭

「昭和の小堀遠州」と言われた昭和の作庭家【中根金作】の作庭です。
平成元年に竣工し、いつも手入れされている大変美しいお庭です。



重要文化財の仏像と建造物

「阿弥陀三尊」阿弥陀如来と両脇侍坐像(勢至菩薩、観世音菩薩) 
 平安時代後期のもの。秋には観音様の足の裏を拝する会も催される。

■「釈迦如来」
平安時代後期のもので、清凉寺式釈迦如来像を模したもの。


■「毘沙門天」
平安時代のもの。

■「十八神社本殿」
1487長享元年建立の 三間社流造。

境内の建造物

■本堂:江戸時代のものです。



■三重塔:江戸時代のものです。



「狛牛」さん「狛兎」さん「狛蛇」さん


■「狛牛」さん名前は「宝勝牛」

本堂前鎮座しています。
 口の中をのぞくと、石の玉が見えますので、この石の玉を撫でて下さい。勝運がつくといわれていますよ。
また、牛のお腹の覗き穴をのぞくと、牛の木像を見る事ができますので覗いてみてね。

■「狛兎」さん
本堂前鎮座しています。
御影石でできた「狛兎」さんです。かわいいお姿をしています。この「狛兎」が抱いている玉の中に卵型の石がありますので、立ててみましょう。立てば願いが叶うとか昇運がつくと言われていますよ。

■「狛蛇」さん、「宇賀神」さまとも
本堂前鎮座しています。
蛇の体に頭は翁。蓮に乗っておられます。かなりかわいいまんがチックな神様です。
この「宇賀神」を撫でると財運(金運)・良運がつくと言われています。


📗 室戸寺の創建や歴史、基本情報


創建年 :(伝)宝亀年間(770~780)

この頃、毎晩宮中に金色の霊光が差し込んでおりました。
【光仁天皇】はこの事を吉兆とお慶びになり、源光を探させた所、山奥の渓流に水が深く青く澄んでいる所で、丈二丈(約6m)の千手観音様がお姿を現わされましたので、飛び込み抱え上げてみますと一尺二寸(約45.6cm)の二臂千手観音」様に変化され現れられました。その旨【光仁天皇】に奏上、「二臂千手観音」様を宮中にお迎えしお祀りしておりましたが、その後、御室を今の地に移し【行表禅師】を招き、「二臂千手観音」様をお祀りし室戸寺』としたのがはじまりと言われています。

平安以降:

寛平年間(889~898)に三井寺の開祖【智証大師】が留錫し中興。
【花山法皇】は離宮を設け西国三十三所第十番の札所に定められました。
天台宗の高僧【隆明大僧正】は室戸寺』に入られ益々隆盛し、【白河法皇】の皇子【静証法親王】は【隆明大僧正】に師事し入寺したころから、室戸と称されるようになりました。
そして【光仁・花山・白河】三帝が離宮とされた事にちなみ、この頃から、室戸寺』の”御”の字を”三”に替え、室戸寺』となりました。

その後、1462寛正3に食堂より出火、伽藍を焼失。再興しましたが、
天正元年(1573年)には【織田信長の敵方【足利義昭に加勢した事により寺領を悉く没収され衰退し堂宇廃退

現在の本堂は、1814年文化11(江戸時代後期)になって改築、落成されたもので重層入母屋造の立派な本堂である。

開基 :【光仁天皇】

開山:【行表禅師】

山号:明星山・みょうじょうざん

宗派:本山修験宗

天台宗の流れをくむ「本山修験宗」、総本山は「聖護院」であるが『三室戸寺』は、別格本山に位置づく。 


本尊:(秘仏)「二臂千手観音・にひせんじゅかんのん」

当初本尊の「二臂千手観音」様は勅封とされましたが、桓武天皇が開扉、大供養を営なまれ、最初に現れたと伝わる千手観音様を二丈一尺に彫刻、「二臂千手観音」様を胎内に納めて、大悲閣を造立し帝都鎮護の御寺とし、33年毎に開扉大供養を営む慣例としました。

しかし1462寛正3の火災により、二丈一尺の千手観音様はに焼失してしまいましたが、胎内に納められていたご本尊「二臂千手観音」は無事でした。

現在はご本尊は秘仏、模して造られた「二臂千手観音」をお前立としています。
2009年花山法皇の一千年忌にあたり84年ぶりの御開帳がございましたが、その後の御開帳はされていません。

その他札所等:

 西国三十三所第10番
神仏霊場巡拝の道第124番(京都44番)

ご詠歌:

夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ


📗 三室戸寺:アクセス・拝観情報


 京都府宇治市莵道滋賀谷21
 0774-21-2067
京阪「三室戸駅」徒歩約15分
JR宇治駅より、徒歩、バスもしくはタクシー

8:30~16:30(4月1日~10月31日)
8:30~16:00(11月1日~3月31日)

有料駐車場300台分:乗用車 500円
 
・平常時拝観料 : 大人500円/小人300円
・あじさい園開園期間中:大人800円/小人400円
・あじさいライトアップ 大人800円/小人400円
・宝物館拝観 毎17日 9:00より20分限り(中途入館不可) 500円
・秋の特別拝観「観音様の足の裏を拝する会」
 2019年11月9日~12月1日の土日祝 9時より20分限り(中途入館不可)500円
・「ハス酒を楽しむ会」2019年7月12日(金) 9時~正午※雨天中止です。
  先着300名500円