日蓮宗本山『叡昌山 本法寺・えいしょうざん ほんぽうじ』
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何だかこの辺りは品が良い
『本法寺』隣には『百々御所 宝鏡寺』『薄雲御所 慈雲院(非公開)』、小川通をはさんで「仁王門」の向いは『不審庵(表千家の茶室)』その横は『今日庵(裏千家の茶室)』、そして茶道具屋、和傘の『日吉屋』が軒を連ね、『俵屋吉富』ののれんが揺れる。ここはそんな所。
本阿弥家の菩提寺であり、長谷川等伯の墓があるお寺。
『三つ巴の庭(巴の庭)』は国の名勝にして【本阿弥光悦】作庭の唯一の庭。
また、『本法寺』は春の桜も美しい。
では、
『本法寺』をご案内
車だと堀川通から駐車場へ入ることになるのですが、”おばちゃりだー”的には「小川通り」の「仁王門」から入るのがお薦め。
まず、「堀川寺之内」を東に入り、『宝鏡寺』を過ぎた所にある「百々橋ひろば」を左折(北)「小川通り」へ、空気が変わるのを感じていただいて、
百々橋広場 |
左(西)側をみてていていただくと「石橋」が、「石橋」の先には・・・
『本法寺』の「仁王門」↓です。(実際は写真よりこぢんまりした感じですよ)
「仁王門」から入りますよ。
あれ?よく見ると”わらじ”❓
左右の「金剛力士像(仁王さま)」の前にぶら下がっていますよ。
何かと思えば健康を祈願する”奉納ぞうり”だそうです。足腰大切ですからね、お参りしましょ。
「仁王門」を入ると”大摩利支尊天”の赤い幟が見えます。
”大摩利支尊天”の赤い幟を見ながら進むと、
右側に鳥居が見え、その先に「摩利支天堂」があります。
お寺に鳥居とは・・・神仏習合の時代の名残ですね。きっと。
「摩利支天堂」の”略縁起”↓
「当山安置の大摩利支尊天は、力(気力・体力・財力)の守護神として諸天善神中、最も霊験顕著なり。依って古来より崇敬絶えず、現前の清衆歩みを進め参詣せられんことを。また、諸の御祈願、御開帳等は、本山本法寺 方丈寺務所までお申し出下さい。」
摩利支天さまの神使は”イノシシ🐗”様、「狛猪(こまいのしし)🐗」様です。
今年は猪年🐗ですしね、今更ながら「気力」「財力」「体力」も授かりたいですしね、しっかりお参りしますよ。
「摩利支天堂」へのお参りを済ませたら、「多宝塔」へ、
そして「本堂」へ、扁額は【本阿弥光悦】筆ですが、写真がありません。とほほ、
「本堂」でお参りをし、『三つ巴の庭』へ向かいます。
「本堂」を「開山堂」を遠目にみながら右に回ると、「庫裏」↓があらわれます。こちらが受付ですよ。
ここが受付。
上ったら、まずは「宝物館」で【長谷川等伯】の「佛涅槃図(原寸大複製)」等寺宝を拝見し、
「唐門」の前の「十(つなし)の庭」(昭和47年”巴の庭”修復時に新たに作庭)を拝見。
石は9石なのに「十(つなし)の庭」とはこれいかに、これは心の中のもう一石(意志)を足して十石となると言う事。
”十”を”つなし”と読むのは、1~9が、ひとつ、ふたつ・・・ここのつ、と、「つ」が付くのに、十(とお)には「つ」が付かないことから、”つなし”と読むそうです。
パソコンに”つなし”と打ち込むと、ちゃんと変換しました💦勉強になりました👆
「光悦垣」を見て
「蹲の庭(つくばいのにわ)」本阿弥光悦 作庭
そして書院から名勝「三つ巴の庭(巴の庭)」本阿弥光悦 作庭↓を拝見します。
本堂への渡廊下もありましたが、渡れませんでした。残念💧
静かな時間を過ごせました。
『本法寺』お薦めポイント
『本法寺』は意外に知られていないようで、立派なお寺でありながら、ゆったりお参りいただけますし、名庭『三つ巴の庭(巴の庭)』も心ゆくまで堪能いただけます。裏千家や表千家の資料会館や、『宝鏡寺』『妙顕寺』等へお越しの際には、『本法寺』へも是非お参りなさって下さいね。
近くで休憩したい時は、『俵屋吉富 小川町店』の隣に『茶ろんたわらや』がおすすめです。落ち着いたおしゃれなお店です。甘味からコーヒーまでありますよ、一休み一休み。
『本法寺』とはこんなお寺
この寺は、室町時代に”鍋かぶり日親”と言われた日蓮宗の僧【日親上人】が開いた寺で、
創建については諸説あるようですが、室町時代1436(永享8)東洞院綾小路に仏教を広めるために造られた「弘通所(ぐずうしょ)」に始まるとされています。
ご本尊は、『十界大曼荼羅』
塔頭(たっちゅう)寺院3院
日蓮宗洛中二十一カ寺本山(現在は16本山)の一つです。
【日親上人】はなぜ”鍋かむり日親”さまと言われたのでしょう
それは、法華経の信仰と政治や治国の関係を説いた「立正治国論」を著し、室町6代将軍【足利義教・あしかがよしのり】に改宗を直訴したことにより怒りを買い、寺は壊され、投獄、熱した鍋を頭にかぶせられるも、そのまま説法を説いたと言われ、このことから”なべかむり日親”と言われるようになりました。本阿弥家と『本法寺』
【本阿弥光悦】曾祖父【本阿弥清信】が【日親上人】と獄中で出会い、帰依し、以来本阿弥家は『本法寺』の大檀家となりました。
【豊臣秀吉】の聚楽第建設に伴う都市整備の影響で(都の防衛等の為)、寺が寺之内通りと寺町に集められる事になった時、現在の地に【本阿弥光二】【本阿弥光悦】親子は私財を投じ『本法寺』を建て、『本法寺』は一大栄華を誇りました。ただ、その伽藍は1788(天明8)の大火で焼失。現在の建物は江戸時代後期に再建さらたものです。
【長谷川等伯】と『本法寺』
能登国(現在の石川県七尾)で絵師として活動していた等伯ですが、養父母の死後生家の菩提寺の伝手で京都の「本法寺塔頭 教行院」に居を移し活動していました。
また、等伯52歳の時、親交の深かった【千利休】が切腹、55歳の時には息子の久蔵が26歳で早世、等伯は悲しみ、筆をおこうとしましたが、その時に、本法寺十世【日通上人】が「絵を辞めれば、あの世にいっても永遠に浮かばれない。もう一度志をもって描きなさい」と言われたことで再起。息子【長谷川久蔵】の七回忌の供養に描いたのが、『本法寺』の重要文化財であり、京都三大涅槃図の一つ「佛涅槃図」です。大きな作品で、通常は複製が展示されていますが、「春季特別寺宝展」では真筆を拝見することができます。
このように『本法寺』と大変縁が深いことから、銅像が立っているのでしょうね。
アクセス
叡昌山 本法寺(えいしょうざん ほんぽうじ)
https://eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp/info/info.htm
京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617番地
075-441-7997
拝観時間:10時~16時
行事等によっては休みの場合有。ご確認下さいね。
市営バス9系統「堀川寺ノ内」約徒歩3分
市営地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」約徒歩15分
境内:無料
宝物館+庭園:500円
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※このページの出典は主にWikipedia、本法寺ホームページです。
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