奥嵯峨の隠れたもみじの名所『厭離庵・えんりあん』
”おばちゃりだー”が言う”隠れた”とは、文字通りの”隠れた”と言う意味。
本当にすっぽり町に隠れているのです。
看板がなければ行きつくことは難しいかと、思います。
あ、でもグーグルマップなら案内してくれるかな❓
そうそう、こちらの”ご朱印”には、
百人一首97【藤原定家】の歌
「こぬひとを まつほのうらのゆうなぎに やくやもしおのみもこがれつつ」
を書いて頂けますよ。
文字数が多いと、ありがたく感じる”おばちゃりだー”でした💦
『厭離庵』への道
「人の知らない京都を知って、自慢したい❗」
そう思う人も多いですよね、
ここ『厭離庵』はそんなところです。
年に一度、もみじの季節にだけ公開されるお寺で、とーっても奥まったところにあるのです。
こんな場所に
場所は嵐山、『渡月橋』から『化野念仏寺』まで続くその道(府道50)の右(左)側奥にある。
『清凉寺』を過ぎ『二尊院』へ向かう途中、路地を右折したその奥にある。
こんな感じで”看板”が出ているので↓こちらから来ればそう難しくないだろう。
しかし、いたずら心があるあなたと、いたずらに付き合う事を厭わない友人には、別のコースをおすすめする。
『二尊院』側、『厭離庵』の駐車場の方から向かう道だ。
「本当にこの道だよね」と、ドキドキしながら門前に辿りついた時は「おおおおお~💚」って感じです。
📗 『厭離庵』駐車場側から向かう
え~と、『厭離庵』に駐車場があると言うのにもびっくりですが、こちらから『厭離庵』へ向かう道にもびっくりできます。
ちなみにこちらの駐車場、参拝者が停めてよいのかどうかについては、はっきりわかりません。が、狭くはない駐車場でしたし、他に車も停まっていなかったので、停めさせていただいちゃいました。門前の受付の方に「駐車場に停めさせていただきましたが、問題ありませんか。」と、念の為尋ねましたが、駐車場の存在自体を 知っていたのかいなかったのか「いいんじゃないですか」くらいの回答でしたが、もちろん、その言葉に甘えました~。
では、駐車場側からのざっくりとした行き方を。
まず、駐車場への行き方ですが、『二尊院』から始めます。
道は「府道50号 京都日吉美山線」です。『渡月橋』から『化野念仏寺』への道です。
『二尊院』を背に『渡月橋』方面を向き少し進みます。
左側一筋目を左へ入り、左手側に『観音院』右手側にも何か宗教施設があれば合っていますよ。そのまま進みます。
突き当たりを右折します。住宅街と言う感じです。そのまま進むと、右手側に空地があり、よーくみると”石柱”に「厭離庵駐車場」と書かれています。
「厭離庵駐車場」を右手に見ながらすすみます。
こんな紙の道案内が貼られていますので↓見落とさないように、
こんな道を入って行ったり、
公園を左手に見ながら進み、
右折し、この道を行くと、『厭離庵』があります。
門前に受付の人が居ますので、すぐにわかりますよ。
ね、ちょっとした冒険でしょ。
『厭離庵』境内
「百人一首編纂の地」
ここは【藤原定家】の「小倉山山荘跡地」であり、【藤原定家】が「百人一首」を編纂した場所といわ。
素敵な紅葉が広がり、境内には「定家塚」や「藤原為家(定家の息子)の墓」があります。
「散り紅葉」で有名
すぎ苔の緑もふかふかで綺麗です。
境内
境内には、「五輪の塔」や「石燈籠」が配され、茶室「時雨亭」や井戸のつるべも風情を演出しています。
『厭離庵』基本情報
概要
正式名称:如意山 厭離庵
宗派:臨済宗天龍寺派
創建:1772
開山:霊源禅師
本尊:如意輪観音
由緒
鎌倉初期、この地は【藤原定家・ていか(さだいえ)】の小倉山の山荘と伝わる場所。
荒廃していたこの地を 江戸時代に冷泉家が修復し、【霊元法王(112代霊元天皇)】により寺号を賜り、【霊源禅師】を開山とし始まった寺。
明治維新後荒廃したが、明治43年白木屋社長【大村彦太郎】が仏堂と庫裏を建立。
【山岡鉄舟】の娘【素心尼】が住職に就いて以降尼寺となる。
参照:「厭離庵」パンフレット
京都市右京区嵯峨二尊院門前善行寺山町2
所在地
拝観料等
拝観料:500円
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