2019年11月17日日曜日

南禅寺『天授庵』|南禅寺の開山塔

南禅寺『天授庵』ー その見事な庭は・・・

『天授庵』は、臨済宗南禅寺派大本山『南禅寺』の開山塔であり塔頭寺院です。
細川家の菩提寺でもあります。そう、第79代内閣総理大臣【細川 護熙・ほそかわもりひろ】さんの肥後熊本藩主の細川家の菩提寺です。

場所は『南禅寺』を入ってすぐ南側、山門と並ぶような位置にありますが、人の出入りはは特別な時期を除けば多くなく穴場と言えるのではないでしょうか。

『天授庵』は塔頭寺院ですが、お参りと言うより、庭園を拝見するという感じで、本堂へ上がったり、お参りなどは行えません。御朱印もありません。

どの季節も美しいですが、特に秋の紅葉時期は、深い紅葉のコントラストがえも言われず美しいのです。

また、個人的には、境内が濡れている時が、最も美しい時ではないかと思います。小雨、雨あがり、霧などで、苔、石、木の橋がしっとり濡れ、色鮮やかな時が、お庭が一番輝く時ではないかと思います。

『南禅寺』へお越しの際は、是非、行ってみてくださいね。


『天授庵』ってどんなお寺



基本情報


📗 創建は
南北朝時代の1339暦応2年(約680年前)

📗 開基は
鎌倉後期~南北朝時代、南禅寺住持 15世【虎関師錬・こかんしれん(本覚国師)】

📗 どのようにして建立に至ったか
南禅寺15世【虎関師錬・こかんしれん(本覚国師)】が、『南禅寺』境内に開山である【無関普門(大明国師)】の塔所が無い事に心を痛め、【光厳上皇】より勅許を得て南禅寺の開山塔として建立

📗 建立後
1447文安4年、大火により焼失、その後応仁の乱でも戦火に見舞われ、荒廃。
1602慶長7【細川幽斎】の寄進により復興し現在に至る。(約415年前)



境内



庭園

「本堂前庭(東庭)」の枯山水庭園と、「書院南庭(南庭)」の池泉回遊式庭園からなる庭園は、素晴らしく、是非見て頂きたい庭園です。


📗 本堂前庭(東庭)


幾何学模様の細い石畳の上を行くと、突然視界が広がり、本堂前庭の見事な枯山水庭園が広がります。


基本的には、鎌倉末期から南北朝時代の特徴をもつ、創建当初に作庭された庭と言われています。




📗 書院南庭(南庭)

鎌倉末期から南北朝時代の特徴を持つ池泉回遊式庭園で、創建当時の作庭と思われますが、東方築山のあたりや、蓬莱島に石橋などには、明治初期に手が入った様子がうかがえます。






本堂(非公開)



📗 建物
【細川幽斎】再興時の建造物であり、屋根は「杮皮葺屋根」。

📗 建物内部
中央には、開山【無関普門(大明国師)】木造を配し、
細川家歴代のご位牌所があります。



寺宝(基本非公開)


📗 本堂内部の襖絵(重要文化財)

【長谷川等伯】の描いた32面の襖絵は晩年の傑作と言われる。

中央の室[禅宗祖師図
上間[高士騎馿図]
下間[松鶴図]商山四皓図

📗 その他、重要文化財

・[絹本着色無関普門像
  開山【無関普門(大明国師)】自讃の肖像は唯一これだけと言われる。
・[紙本墨画淡彩 聖一国師像
・[絹本着色 平田慈均像 2幅
・[絹本着色 細川幽斎夫妻像 2幅
・[九条袈裟 無関普門所用と伝わる九条袈裟と言われる



お墓


【細川幽斎】夫妻の墓、他細川家の墓多数
【梁川星巌夫妻】の墓:幕末勤王詩人
【横井小楠】の墓:学者で維新政府の参議
【村上作夫】【堀江純吉】の墓:京都新聞創刊の功労者



アクセス・所在地等



所在地等


京都市左京区南禅寺福地町86-8
075-771-0744
拝観料 500円
参拝場所 無
御朱印 無


アクセス


京都市バス「東天王町」または「南禅寺・永観堂道」徒歩約10分
市営地下鉄「蹴上駅」徒歩約10分
・南禅寺入って右側、お手洗いの前の水路沿いにあります。


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