2019秋の特別公開へ行って来た
「松虫鈴虫寺」とも言われ、
7月25日の『鹿ケ谷かぼちゃ供養』で有名な『住蓮山 安楽寺💚』。
12月初旬に、門前の階段を真っ赤に染める”散紅葉🍁”は有名👍
通常は非公開ですが、7月25日の『鹿ケ谷かぼちゃ供養』と、毎月2日の「地蔵縁日」、春と秋には「特別公開」が行われます。
今回は「秋の特別拝観」初日、”散紅葉🍁”の季節の前に、『安楽寺💚』へ行って来ましたので、😁ついでにお勉強~(”散紅葉🍁”は12月初旬)しました~😁
住蓮山『安楽寺』ってどんなお寺 ❓
基本情報
📗 浄土宗単立寺院
📗 本尊:阿弥陀如来
📗 開基:【住蓮・じゅうれん】【安楽(遵西)・あんらく(じゅんさい)】
【法然】の弟子である、【住蓮・じゅうれん】と【安楽(遵西)・あんらく(じゅんさい)】がここから、東1km位の地に「鹿ヶ谷草庵」を開き念仏道場とした事にはじまります。
📗 別名:松虫鈴虫寺
『安楽寺』の悲しいお話(松虫鈴虫寺と呼ばれる理由)
【住蓮・じゅうれん】と【安楽・あんらく】は、1日に6回、読経、念仏、礼拝を行う『六時礼讃・ろくじらいさん』の声明の美しさが評判を呼び、大衆の支持を集めていました。
信者の中に、御所につとめる女官であった【松虫姫】と【鈴虫姫】がおられました。両姫は若く、美しく、才能にあふれ、【後鳥羽上皇】からも大変な寵愛を受けていた為、御所での、両姫に対する妬み辛みは、大変なものでした。両姫は苦悩し、いつしか心の平安を求めるようになっていきました。
そんな1206建永元年、【後鳥羽上皇】が熊野へ参詣され、御所を留守にされた時の事、両姫は意を決し、夜中に御所を出奔、『鹿ケ谷草庵』を訪れ、出家を乞いますが、【後鳥羽上皇】の許可が無いこともあり断わられます。
↓それでも御所には戻らない覚悟であった両姫の出家を請う詠。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨てつる 人ぞつれなき」
このお詠に感銘を受け、
19歳の【松虫姫】は【住蓮上人】から、17歳の鈴虫姫は、【安楽上人】から、剃髪出家を認められ尼僧となられます。
しかし【後鳥羽上皇】は激怒します。そして、このことが口実となり起こったのが、世に言う、1207建永2「建永(承元)の法難」です。
【住蓮上人】は現在の滋賀県近江八幡市で【安楽上人】は六条河原で斬首され、師である【法然上人】は75歳の高齢にもかかわらず香川県高松市へ、【法然上人】の弟子【親鸞聖人】は新潟県上越市に流罪となりました。他にも斬首、流罪になっています。
こんな事になってしまって、両姫がどんなお気持ちだったかと思う、と胸が張り裂けてしまいそうですね。
その後、出家した両姫は、現在のしまなみ海道 ”生口島”にある『光明防』で生涯を過ごされ、【松虫姫】は35歳、【鈴虫姫】は45歳で往生を遂げたと伝わるそうです。
『鹿ケ谷草庵』は【住蓮上人】と【安楽上人】が斬首され、荒廃しましたが、【法然上人】が流罪地から戻られ、【住蓮上人】と【安楽上人】の菩提を弔う為に復興し、寺名を『住蓮山 安楽寺』とされました。
悲しい、辛いお話でした💧
境内
地蔵堂
カフェ
通常公開日はカフェですが、
「くさの地蔵縁日」の日は、カフェはお休みで、お店が出ます。
素敵なお店ですよ💖
この日は「くさの地蔵縁日」、淡路島のぱん屋さん↑
カフェの時に来たいな、ゆったりできそうです。
おっ、薪ストーブ。冬はこれで万全ですね。
その他の写真
本堂の横にベンチが、
中から山門を見たところ
お参りして
小さなお寺ですが、手入れのされたお庭が気持ちの良いお寺でした。
また、本堂でお寺の説明もしてくださいますので、ゆったり楽しめます。
お寺を身近に感じることができます。
広くはないのに、ゆったりと過ごすことの出来るお寺でした。
行事など
7月25日 中風まじない『鹿ヶ谷カボチャ供養』
毎年7月25日に、瓢箪形のちょっとかわったカボチャを炊いて参拝者に振舞い、中風にならないようにと祈願する。これは江戸時代、同寺の『真空上人』が夢で「夏の土用にかぼちゃを供養すれば病から逃れることができる。」と言うお告げを受けたことにはじまります。
「くさの地蔵縁日」毎月2日
アクセス
住蓮山『安楽寺』
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21番地
075-771-5360
「真如堂前」徒歩約15分
「錦林車庫前」東へ徒歩約15分
★「哲学の道」を歩いていると「立札」が出ています。
『法然院』の南隣ですよ。
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