『護王神社』
「足腰」や「いのしし」の神様として知られ、ご祭神には【和気清麻呂・わけのきよまろ】【和気広虫姫・わけのひろむしひめ(清麻呂公の姉)】をお祀りする、人々に愛されている神社です。護王神社 |
場所は京都御所の西側、蛤御門(はまぐりごもん)の向い、烏丸通りに面し、地下鉄烏丸線の丸太町駅からも近くなのです。
また、『護王神社』は”いのしし”の神様と言われるだけあって、表門には”狛犬”ではなく”狛猪”様が、もちろん、拝殿前にも”狛猪”様がいらっしゃるのでごす。
また、『護王神社』は”いのしし”の神様と言われるだけあって、表門には”狛犬”ではなく”狛猪”様が、もちろん、拝殿前にも”狛猪”様がいらっしゃるのでごす。
『護王神社』拝殿とよくみれば狛いのしし |
そして今年2019年は”亥年”に当たる事から、”亥年”の方はもちろん、当たり年で縁起が良いと、お正月は参拝の人々でフィーバーしていました。
では、境内の様子を少々・・・
では、境内の様子を少々・・・
表門を入った「手水舎」。
『護王神社』手水舎「幸運の霊猪」 |
「手水舎」の”いのしし”ちゃんは「幸運の霊猪❗」鼻の頭をなでると幸せが訪れるのです💚
鼻の頭だけ”ピカピカ”ですね。
”喘息封じのカリンの木”。樹齢100年を超える「ご神木」です。”京都の巨樹名木100選”にも選ばれています。
【和気清麻呂】公の像。
『護王神社』手水舎「幸運の霊猪」2 |
”喘息封じのカリンの木”。樹齢100年を超える「ご神木」です。”京都の巨樹名木100選”にも選ばれています。
”喘息封じのカリンの木” |
【和気清麻呂】公の像。
「和気清麻呂」公の像 |
「伊勢神宮遥拝所」もあり、
『護王神社』の伊勢神宮遥拝所 |
「足腰祈願💗」所があります。
左右どちらかの足形に立ってお祈りします。元気な人は右側の高さの高い石、足腰の悪い人は左側の高さの低い足形に立つ事が多いそうですよ!もちろん「足萎難儀回復の碑」をさすってもOK!
左右どちらかの足形に立ってお祈りします。元気な人は右側の高さの高い石、足腰の悪い人は左側の高さの低い足形に立つ事が多いそうですよ!もちろん「足萎難儀回復の碑」をさすってもOK!
まだまだ他にも大きな”さざれ石”や”なで猪”さま等々、見どころ満載です😄”いのしし”ちゃんの剥製もたくさんあったりしますよ~😅
これは本物の”いのしし”ちゃん💛
毎年1月の数日間、出張でやってきます。
幸せの白いいのしし「かりんちゃん」 |
こちらは「幸せの白いのしし かりんちゃん」です💝
広い神社と言うわけではありませんが、ぎゅぎゅぎゅっとご神徳いっぱいの神社なのです。
■『護王神社』はなぜ、「いのししの神社」「足腰の神社」と言われるのでしょうか?
「いのしし」や「足腰」まつわる逸話があるからなのです。
ではその逸話とはどのようなものでしょうか。
これは【和気清麻呂】公が「天皇の皇統を守った」と言われる『道鏡事件!』と言うお話。
『道鏡事件!』とは、奈良時代後期【弥徳天皇(女性天皇)】の寵愛を受け、法王にまで昇りつめた僧【道鏡(弓削道鏡)】が権勢を振るっておりました。
しかし【道鏡】は法王では飽き足らずに天皇になろうと画策していました。
そんな時に天皇に、このようなご神託の奏上がありました。
『宇佐八幡宮(大分県の宇佐神宮)』に「【道鏡】を天皇に就かせれば国家が安泰する」
!!! 皇族でも無い僧【道鏡】を天皇に?これは皇統に関わる一大事。
ご神託の真偽を確認する必要ありとなり、
この時『宇佐八幡宮(大分県の宇佐神宮)』へ遣わされたのが【和気清麻呂】公でした。
早速【和気清麻呂】公は『宇佐八幡宮』へと赴き、神殿にて【宇佐の大神】にお尋ねしたところ「天皇には皇族が就くべき。道鏡は追放すべし」とのご神託がございましたので、急ぎ都に戻り、その旨を奏上申し上げました。もちろん【道鏡】は天皇になる事はなく、企みは消え、現在にも続く皇統をお守りする事ができたのです。
しかし【道鏡】は怒ります。【和気清麻呂】公の足の腱を切った上に、 姉【和気広虫姫】とともに「大隅国」(現在の鹿児島県霧島)へ流罪。そしてあろう事かその上に、流罪地に向かう一行に刺客を放ちました。
一方足の腱を切られ、流罪となって、立つこともできぬ状態の【和気清麻呂】公。このような状態になっても尚、皇統をお守りいただいた【宇佐の大神】に感謝され、お礼のお詣りをと流罪地へ向う途中に『宇佐八幡宮』へと向っておられました。
そしてご一行が豊前国(福岡県東部)に至ったあたりで、驚く事にいずこからか三百頭のいのししが現れて、【和気清麻呂】公の神輿を取り囲み、『宇佐八幡宮』へ至る十里(約40km)の道のりを【道鏡】の刺客からお守りしながら案内してくれるではありませんか。
このいのしし達のお陰で【和気清麻呂】公は無事『宇佐八幡宮』へ到着、【宇佐の大神】へお礼の拝礼をすませる事ができたのです。が、拝礼をすませると、三百頭のいのしし達は忽然といなくなっており、腱を切られ歩けなかった脚は痛みが無くなったばかりか歩くことができるようになっていたのです。
そして、このお話から【和気清麻呂】公をお祀りする『護王神社』は”いのししの神社”であり”足腰”の神社であると言われるようになったのです。
因みに流罪になった1年後、【称徳天皇】が崩御されます。もちろん【称徳天皇】の寵愛を受け成り上がった【道鏡】は追われ、【和気清麻呂】公は都に呼び戻されました。
無事呼び戻された【和気清麻呂】公は、晩年まで世の為人の為尽くし、京都(平安京)への遷都も【桓武天皇】に建議されたと言います。
今の京都があるのは【和気清麻呂】公のおかげ?ですかね。
■『護王神社』のご由緒
【和気清麻呂】公は死後、【和気清麻呂】公の開基である『高尾山 神護寺』眠り、和気氏により『護王善神社』が境内に創建し祀られました。その後、江戸時代末期1851年、【孝明天皇】により功績を称え『護王大明神』の位を与えられ、1874(明7)社名を『護王神社』と改称し、1866(明19)【明治天皇】の勅命により、神護寺境内から「京都御所蛤御門(はまぐりごもん)」前の現在の地にご遷座。後に姉【和気広虫姫】を主祭神として合祀され現在に至ります。
『護王神社』はこのようなご由緒のある神社なのです💛
<参考サイト>
『八幡総本宮 宇佐神宮』
『護王神社』
Wikipedia
<基本情報>
〒602-8011
京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
お問い合わせ電話番号
075-441-5458(午前9時〜午後5時)
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